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福岡高等裁判所那覇支部 昭和57年(う)3号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八年に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人芳沢弘明及び被告人本人各作成の控訴趣意書(ただし、弁護人は、第一回公判期日において、被告人本人作成の控訴趣意書中、「三法令違反について」とある部分は、原審における証人野原幸子及び同野原茂男の各証言の信用性を争う趣意である旨釈明した。)記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官新城長栄作成の答弁書記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意中、事実誤認の主張について

1  所論は、まず、原判決は、同判示第一の身代金目的拐取、拐取者身代金取得等の事実について、被告人が被害児添石康之の実母野原幸子の勤務先に電話して身代金を要求した際、同女に対し、「あんたの子供を預かつている、命がほしかつたら明日の八時までに五〇〇万円を準備しなさい、云々」との発言をした旨認定したが、右文言中、被告人は、「命がほしかつたら」と言つたことはなく、「まともに返してほしかつたら」と言つたに過ぎないのであるから、この点原判決には事実誤認の違法があり、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、記録を調査しかつ当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、原判決の認定に副う証拠としては、野原幸子の検察官に対する供述調書が存在し、同女は、右供述調書において、被告人が「命がほしかつたら」と発言した旨供述している。他方、被告人は、右発言をしたことはなく、「まともに返してほしかつたら」と言つたものである旨捜査段階から一貫して供述しており、野原幸子の前記供述調書を除くと、本件記録上、被告人の右供述の信用性を排斥すべき特段の証拠は見い出しがたい。

そこで、野原幸子の右供述調書の信用性を検討するのに、同女の供述内容は、全体的に具体的かつ詳細であつて、特段不自然、不合理な点は見受けられない。ただ、勤務先で、突然、思いもよらぬ内容の電話を受けた同女としては、多分に精神的動揺を来し、相手の発言の趣旨をくみ取るのに精一杯という状態にあつたと考えられるばかりでなく、「まともに返してほしかつたら」という言葉は、その前後の文脈に照らし、少なくとも聞き手にとつては、「命がほしかつたら」という言葉と意味内容に大差がないと考えられる。従つて、同女が、「まともに返してほしかつたら」という発言を「命がほしかつたら」という趣旨に取り、そのように記憶していたとしても、何ら不思議はないと言わなければならない。同女の検察官に対する供述は、「命がほしかつたら」という発言部分に関する限り、必ずしも全面的に措信しがたいものがある。

そうだとすると、被告人は、所論指摘のように、「まともに返してほしかつたら」と発言したものと認めるのが相当であるが、右発言の意味内容は、前記のように、「命がほしかつたら」という言葉と大差がないことが明らかであるから、「命がほしかつたら」との発言をしたとする原判決の認定が判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認とは到底言いがたい。結局所論は採用できない。

2  所論は、次に、原判決は、同判示第二の監禁の事実について、被告人は、砂川敏子方居室において、被害児を監禁中、足掛け八日間にわたり、同児の両手、両足を緊縛し、猿ぐつわをした旨認定したが、被告人が右居室において被害児の両手両足を緊縛し、猿ぐつわをしたのは、前後三回に過ぎないから、この点原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の違法がある、というのである。

しかしながら、原判決は、被告人が被害児を右居室に監禁中、その全期間にわたり同児の両手両足を緊縛し、猿ぐつわをしたとは認定しておらず、このことは判文上明らかであるから、所論はその前提を欠き、採用できない。

二  控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、要するに、原判決は、被告人に対し懲役一〇年(未決勾留日数中六〇日算入)の刑を科したが、右量刑は、諸般の事情に照らすと、著しく重きに失し、不当である、というのである。

そこで、記録を調査しかつ当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、原判示第一の犯行は、身代金を交付させる目的で当時七才の児童を誘拐したうえ、同児の実母に対し、一〇数回にわたり五〇〇万円の身代金を要求した事案、同第二の犯行は、右誘拐後、被害児を足掛け八日間にわたり監禁した事案であるが、被告人の刑事責任の重大性について原判決が説示するところは、概ね正当であつて、特段異論をさしはさむ余地はない。ことに、本件犯行が安易かつ自己本位な動機の下に敢行された計画的犯行であること、監禁期間は足掛け八日間にわたり、その間、母親ら近親者の受けた精神的、肉体的苦痛は甚大であつて、被害感情も烈しいものがあること、本件が地域社会に与えた衝撃は大きく、更には、この種事案の特質に徴し、一般予防の見地もゆるがせにできないことなどの諸点に照らすと、被告人の刑責は誠に重大であつて、原判決の量刑もあながち首肯できないわけではない。

しかしながら、他面、被告人のために有利に考慮すべき事情も少なからず認められる。

すなわち、被告人は、被害児を原判示アパートの一室に監示中、同児を緊縛し、猿ぐつわをしたことはあるけれども、その時期は監禁の初期の二日間、回数は前後三回、しかも、被告人が外出中の比較的短時間に過ぎない。のみならず、右三回のうち、第二、三回目については、被告人の外出中に被害児自ら縛めを解き、ことに第三回目の場合などは、自ら縛めを解いたうえ、ドアの鍵を開けて外部に通じるベランダまで出てきたほどであるが、外出から帰つてこれを認めた被告人は、被害児に対し、外へ出ないよう指示したのみで、その後特段の措置を講じたということもなく、かえつて、それ以後、被害児を緊縛したことはない。被害児が寝入つた後など、被告人は、同児の実母を接触するために、同児を一人アパートの一室に残して外出したことは何度かあつたものの、アパートという建物の性質上、被害児を特段危険な状況下に放置したというわけでもない。また、被告人は、本件監禁中、被害児に対し、その生命、身体に危害を加えかねないような脅迫的言辞を弄したことはないばかりでなく、被害児が頭痛を訴えると鎮痛剤を与え、乏しい所持金の中から、被害児の希望する飲食物を与えたりしていたもので、被告人が被害児に対しそれなりの配慮をしていたことは十分にうかがうことができる。このことは、被害児が救出された直後の同児の様子について、同児の別居中の実父添石政秀が検察官に対する供述調書において、「意外なほど元気だつた。」旨供述していることによつても裏付けられる。

更に、所期の目的の達成の能否が明確となつた時点で、被告人が被害児に対しいかなる措置を取る予定であつたかについては、被告人は、一貫して、同児に対し危害を加える意図はなかつた旨供述しているところ、右供述は、被告人が、本件犯行期間中に、同児の担任教師佐喜間輝子に電話した際、同女の「康之君は大丈夫ですか。どんな事があつても、康之君の命だけは助けて下さい。」との懇願に対し、丁度そのころ、山梨県で発生し、被害者の殺害という悲劇に終つた同種の誘拐事件に触れて、「山梨のような事にはしたくありません。大丈夫です。」と述べていることや、監禁中における被告人の被害児に対する前記のような態度に徴しても、措信しうるものがあると考えられる。

右のように、被告人は被害児の生命、身体に危害を加える意図はなく、監禁中も同児に対しそれなりの配慮をし、結果的にも同児が無事元気な姿で救出された事実は、被害児の生命、身体に対する危害が伴いがちなこの種事案の中にあつては、量刑上斟酌するに値するばかりでなく、将来ありうべき同種事案の発生に際し、被害児の生命、身体に対する危険をいささかなりとも防止するという観点からも、量刑上十分に斟酌する必要があると考えられる。そして、右の点に加えて、被告人は、被害児が母子家庭の子供であることを後になつて初めて知り、右のような境遇にある児童を誘拐したことを後悔しているもので、そこに被告人の人間性の一端がうかがわれること、また、被告人は、逮捕される直前、警察官から「子供は元気か。」と聞かれるや、「はい、元気です。」と答えて、直ちに警察官を被害児の監禁されているアパートの一室へ案内して同児の救出に協力し、それ以後も犯行を素直に認めていること、被告人には、これまで前科はなく、本件についても反省の態度が認められること、成立には至らなかつたものの、被告人の家族が示談交渉に誠意を示してきたことなど諸般の事情を斟酌すると、原判決の量刑はいささか酷に失し、刑期を若干短縮するのが相当であると考える。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決すべきところ、原判決が適法に確定した事実(ただし、原判決罪となるべき事実の第一、一一行目「あんたの子供を預かつている、命がほしかつたら、云々」とある部分のうち、「命がほしかつたら」とあるのを「まともに返してほしかつたら」と改める。)に原判示各法条を適用するほか、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条、原審及び当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑事訴訟法一八一条一項但書をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

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